本当にすごいことだったんですね。
ノーマは片親家庭に生まれた。アメリカ合衆国には戸籍がないので、出産直後に医者が書く出生証明書が法的な意味をもつことになっている。彼女の出生証明書には、父:モーテンセン、氏名:ノーマ・ジーン・モーテンセンと記載されていることから、彼女の本名はノーマ・ジーン・モーテンセンであることに異論はない。
しかし本当の父がモーテンセンであるかどうかは疑わしい。彼女の母グラディス・モンローは「あなたのお父さんはベイカーよ」とノーマに告げていたとされる。ノーマ自身もそう信じていたためか、女優になってから後年、「本名は?」と質問された際には「ノーマ・ジーン・ベイカーです」と答えている。
ノーマという本名の由来は、母グラディスが、当時好きだった女優ノーマ・タルマッジからとったとされる。母グラディスは、「モンロー宣言」で知られるジェームズ・モンロー大統領は先祖であると周囲にもらしていたが、娘のモンロー自身は一笑に付したとされる。
日本語訳されている評伝の多くが、モンローは孤児だったと書いているが、母親が居たので孤児とは日本語では呼ぶことは出来ない。これは英語の「孤児(orphan)」が片親が居ない場合にも使われることからくる、ちょっとした誤訳である。モンローには異父姉妹の姉が居る。姉のことは後年、女優になってからも気にかけていたという。その姉はモンローの葬儀に参列している。 モンローの映画を手がけた20世紀フォックスはモンローのプロフィールで、年齢を2歳さばを読んで発表していた。そのため故淀川長治も、彼女が34歳で亡くなったと、TVの『日曜洋画劇場』で言ったことがある。
ノーマの母親は精神病を患っていた。グレース・マッキー(後Goddard)が、彼女の保護者になった。マッキーが1935年に結婚した後で、ノーマはロサンゼルスの孤児院へ、その後伝えられるところでは性的虐待及びネグレクトで支配された養家へ連続して送られ、その事が起因してか、吃音を患うようになってしまった。当時の大統領の政策で、里親にはいくらかの補助金が支給されたため、お金目当てで子供を引き取る家もあった。それでいくつもの家をたらい回しにされたり、大事に扱われなかったりした。
16歳で、母の家の近所に住むジム・ドハティと最初の結婚をする。その後、スカウトされてモデルとして活動し始める。彼女の夫はモデル業に理解を示さなかったため、結婚から4年で離婚。
当時所属していたモデル会社の名は、「ブルーブック・モデルズ・エイジェンシー」。ブルーブックとは、いまでいうアダルト本のことであり、モンローがヌードモデルをしていたことも頷ける話である。
1947年に20世紀フォックスの『嵐の園』という映画に端役でデビューするが、あまりぱっとせずに契約を切られてしまう。しかし女優への夢を諦めきれなかった彼女はコロムビア映画に移籍、『コーラスのレディたち』で準主役となる。しかしコロムビア映画とはその映画一本のみで終わってしまう。その後は再びヌードモデルなどをしながら演技の勉強をし、エージェント(交渉代理業者)を探す日々が始まる。
引用『ウィキペディア(Wikipedia)』
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